暫し風から逃れ、温かい飲み物にもありつけたお蔭で、かなり元気が回復してきました。お寺は午後5時には閉まってしまうことが多いので、ここからは時計と体力を気にせず、短時間で回れるところを散策することに。私とツレが次に向かったのは、阪急河原町駅。阪急大宮駅から二駅です。夕方の河原町駅前は、観光客に加え、地元の買い物客や飲みに行く人などで大混雑。現代の建物ばかりが並ぶ繁華街で何を見ようというのかといった感じですが、そこは京の都、ちゃんとゴロゴロあるのです。駅を出て、四条通を八坂神社方面にほんの少しだけ歩くと、高瀬川に出くわします。鴨川の手前を流れる、細い運河です。超お手軽に、幕末好きにはたまらない歴史探訪ができちゃうのが、この川沿い。
高瀬川に沿って走っている木屋町通を北に入ると、まず「本間精一郎遭難の地」と書かれた石碑が出てきます。越後出身の尊攘派の志士・本間精一郎が、土佐の岡田以蔵に、天誅と称して斬られた場所です。おぉ、早速ダーク・・・。
その先には、土佐藩邸跡が。元・立誠小学校の前に、石碑と案内板(写真01)があります。元・立誠小学校から河原町通一帯が、山内家の京都藩邸だったとのこと。この辺りには多くの藩の屋敷が並んでいました。
土佐藩邸跡の碑を左折すると、蛸薬師通という狭くて短い通りに入ります。この通りにある小さなお社が、岬神社(写真02)。通称を「土佐稲荷」と言います。神社内には坂本龍馬のミニ像(写真02中央)があるのですが、龍馬にあやかろうと像の頭を削る観光客がいるとか。ヒドイ話です。
引き続き木屋町通を北へ歩いてみることに。東西に走る三条通にぶつかる少し手前の、木屋町通と交差している道には、海援隊屯所の酢屋(写真03)と「坂本龍馬寓居」の石碑が。酢屋は、中川嘉兵衛が、享保年間に創業した材木商。京と伏見を結ぶ高瀬舟は、ちょうど酢屋の前から出入りしており、幕末の頃には、高瀬川の木材独占輸送権を得て運送業も営んでいたようです。慶応3年、坂本龍馬はこの酢屋を海援隊の京都本部とし、2階に投宿しました。なるほど、高瀬川を使って連絡が取りやすく、また各藩の京屋敷にも近く、屯所として絶好の場所というわけです。
三条通を西に少し入ったところに、「池田屋騒動之址」の石碑(写真04左下)と事件の解説パネル(写真04上)があります。元治元年6月5日、ここで密談中の長州藩士らを討ち、御所焼き討ちを未然に防いだ功績で、新選組は、この後得意絶頂の時期を迎えるわけですね。2004年のNHK大河ドラマ「新選組!」では、実際の池田屋を忠実に再現したセットで話題になりました。「龍馬伝」に現在登場中の望月亀弥太も、池田屋事件で落命してしまうんですよね。旅館・池田屋跡に、数年前にはパチンコ屋さんが建っていましたが、今回訪れた2010年3月現在は、「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」という居酒屋さんが。宴会メニューは「幕末コース」「誠コース」「沖田コース」などなど、池田屋跡ならではのネーミング。
再び木屋町通へ戻り、また北へ進むと、「吉村寅太郎寓居之址」と「武市瑞山先生寓居之址」(写真05左)が。吉村寅太郎は、武市半平太に師事し、土佐勤皇党に加わった人物ですが、平野国臣の画策に乗るべく土佐を脱藩、寺田屋事件で捕らえられ、釈放された後に天誅組を組織しました。京では、他藩応接役を勤めていた武市半平太のお隣で暮らしていたそう。龍馬、半平太らとともに土佐四天王の一人である吉村寅太郎、「龍馬伝」ではどう描かれるでしょうか。
「武市瑞山先生寓居之址」の石碑の横にあるのは、「ちりめん洋服発祥の地」の碑(写真05右)です。昭和40年代、田中佐起三氏が、ちりめん素材を使ったワンピースやスカート等を創作したとか。
木屋町通を更に北に上がり、御池通にぶつかった辺りで、あらら、ツレがまたダウン。寒いの靴擦れが痛いのとブーブー言い出しました。この少し先には、桂小五郎と幾松の寓居跡や、佐久間象山と大村益次郎の遭難の地などがあるのになぁ。でも仕方ない、これ以上の北上は諦めました。気分を入れ替えれば、ツレの寒さと痛みもいくらかは紛れるかと思い、阪急河原町駅へ引き返すのに、今度は木屋町通と平行して走る河原町通を使うことに。
木屋町通と交差している御池通を西に折れてから、河原町通が出てくるのはすぐなのですが、その途中、京都ホテルオークラを発見。長州藩邸跡です。思わずツレをその場に放置し、私一人、猛ダッシュ。ホテルの周囲にある、長州藩邸跡の石碑と桂小五郎像(写真06)を見て来ました。長州藩邸は蛤御門の変で焼失してしまい、もうその面影は残っておりません。
ツレを励ましつつ、駅に向かって河原町通を南下し始めるや、ツレの脚が停止。何かと思えば、本能寺はコチラとの案内に目を留め、行こうと誘うのです。ツレは大の戦国好きで、急に生き生き。おいおい、です。てことで、細い脇道に折れ、その先にある本能寺へ。こちらには、織田信長の太刀が納められている信長公廟(写真07)や、信長の肖像、森蘭丸の刀等が保存されている宝物館が。ちなみに本能寺の寺域がこの地に移されたのは、本能寺の変以降、豊臣秀吉の命によってだそうです。
さあ、やっと阪急河原町駅近くまで帰ってきました。が、まだ気は抜けません。「坂本龍馬 中岡慎太郎遭難之地」と書かれた石碑(写真08左下)と案内板(写真08中央)が、なんとコンビニの前に。ここは近江屋跡です。当時の近江屋は、土佐藩御用達の醤油商で、主は井口新助。慶応3年11月15日、坂本龍馬が自分の誕生日に、盟友・中岡慎太郎と共に暗殺されたのは、この近江屋の母屋でした。過去を振り返るとき、「もしも」を考えるのはあまり有意義ではないかも知れませんけど、ここに立つと、彼らが生きのびていたなら、明治という時代も少々違ったものになっていただろうなどと思わずにはいられません。胸が疼きます。跡地には以前は旅行会社がありました。駅前の店舗って、数年見ないうちに様子が変わってしまうことが多いので、碑を探す際の目印になりにくいのが難ですね。
そしていよいよ最後、駅のすぐ手前にあるのが、「中岡慎太郎寓居之地」の石碑(写真09)です。中岡慎太郎も土佐四天王の一人で、もとは半平太の門下生。土佐勤皇党に加盟しますが、脱藩し、長州軍と共に蛤御門の変や下関戦争を戦いました。後に薩長同盟締結に活躍し、陸援隊を組織する人物です。京では、この石碑の場所にあった、土佐藩御用達の書林菊屋に身を置いていました。「龍馬伝」では、上川隆也が中岡慎太郎役だそうですね。2006年放送の「功名が辻」で、土佐藩の初代殿様・山内一豊だった人が、次は中岡になるとは、何だかヘンな感じです。
今回私たちが河原町駅付近を歩いた距離は、僅か1キロちょっとでしょうか。非常に狭い範囲でしたが、これだけの見応え。さすがは幕末動乱の舞台となった京の都です。私とツレのように、計画性も体力もないという人にもオススメできるのが、この木屋町通(高瀬川)と河原町通の散策です。人だらけで碑を探すのがひと苦労ですけど、それがまた楽しかったりします。