下田旅行の二日目、道の駅・開国下田みなと(ベイステージ下田)の朝市で美味しそうな干物を数種類購入。下田に来るのにクーラーボックスは必需品ですね。土産を車に置いたら、さぁ、道の駅近くにある黒船乗船受付処(写真01)へ。ここから遊覧船で下田港内巡りです。運賃は一階が1000円。二階(展望室)が1400円。奮発して展望室のチケットを買いました。出航時刻を待ちながら、「黒船乗船受付処」の売店を覘いたり、生絞りオレンジジュースを飲んだり。
暫くして遊覧船が到着しました。遊覧船は黒船をモチーフにしており、その名もズバリ「サスケハナ号」(写真02)。このサスケハナ号は127トンだというから、実際のサスケハナ号の約二十分の一というミニサイズです。といっても、観光客を乗せるには十分な大きさですが。遊覧船は20分かけて下田湾をぐる~り一周。ペリー艦隊投錨の地を巡ってくれます。歴史学習をしながら、寝姿山の新緑と紺碧の海と心地よい風でゆったり心も癒せちゃう、一石二鳥のお得感があるクルージングです。
下田湾を海から満喫したら、今度は山からも楽しんでみたくなり、次に向かったのは伊豆急下田駅の近くのロープウェイ乗り場。先ほど港からも見えていた寝姿山のてっぺんまで、ロープウェイが連れて行ってくれます。料金は往復で1000円。こちらも出発時刻まで暫く待たされた後、パンパンに人が詰め込まれた状態で出発。下田の街を見下ろしながら、ゆっくり昇って行きました(写真03)。寝姿山という名称は、その山並みが女性の仰向けの寝姿に似ているところから来ているそう。ロープウェイの山頂駅はちょうど女性のバスト部分にあたります。
山頂駅までは僅か3分。大して高い山ではありませんが、ロープウェイを降りると、そこには下界からは想像もつかない絶景(写真04)が。浮世絵にでも描かれそうな日本的な景観と、海の青、空の青、半島や島々の緑の見事なコントラストに、言葉を失います。寝姿山から見る下田湾は、「伊豆三景」の一つに数えられているそうで、天候によっては伊豆七島まで一望できるのだとか。写真左が須崎半島。中央に浮かぶのが犬走島。左手前がみさご島。深いブルーの海を遊覧船や小さな船が行き交っています。
今はこのように大変のどかな下田湾ですが、150年前、この湾を真っ黒な巨艦が埋め尽くしたときは、人々をどれだけ驚愕させたことでしょう。嘉永7年(1854年)、日米和親条約によって下田が即時開港され、最初にやってきたのがサザンプトン号(567トン)とサプライ号(547トン)。続いてレキシントン号(691トン)とバンダリア号(770トン)。そして旗艦ポーハタン号(2,415トン)とミシシッピ号(1,692トン)。最後にマセドニアン号(1,341トン)が入港。そのドデカかさといったら、当時の日本の千石船の五倍~数十倍。しかも、それぞれが大量の大砲を装備。ポーハタン号やミシシッピ号などの蒸気外輪フリゲートからは黒煙モクモク。「泰平の眠りをさます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」とは、浦賀に停泊中の黒船四隻について作られた歌ですが、一度に七隻も来られたのでは、夜眠れないどころではなさそうです。
寝姿山の山上遊歩道を少し歩いてみることにします。この辺りは自然公園になっており、季節の花々を楽しむことができます。遊歩道の途中、黒船見張所跡の案内板が現れ、その少し先に復元された見張小屋(写真05)が。おぉ、小屋の壁には葵の御紋! 当時の見張小屋は、嘉永2年(1849年)、イギリスの測量船・マリナ号の入港を機に設けられ、下田奉行所のお役人サンが、昼夜を問わず黒船の警戒に当たったそう。現在は、マネキンの役人が小屋の中に。寝姿山の山頂には、他に、古いカメラなどを展示した蓮杖写真記念館があります。
南伊豆で最後に訪れたのは、下田駅から一駅北へあがった蓮台寺駅近くにある旧村山邸・吉田松陰の寓寄処(写真06)です。NHK大河ドラマ「龍馬伝」にもチラリと出てきましたが、吉田松陰は、西洋文明を学びたいとの思いから、弟子・金子重輔と共に下田の地にて密航を企てました。皮膚病を患っていたため、医師・村山行馬郎(ぎょうまろう)宅で療養生活をしながら機会をうかがっていたとか。現在もその村山医師の邸宅が残っており、一般公開されています。この時はラッキーなことに私とツレ以外の見学者がなかったため、教育委員会の方がずっと私たちと一緒に周りながら解説をして下さいました。松陰が療養したという温泉風呂や、2階の松陰隠れの間も見せていただきました。松陰の企てを聞いて初めは驚いた村山医師でしたが、やがてはその熱意に打たれ、世話をしようと決意したとのことで、私もこの村山邸に実際に足を踏み入れてみると、松陰の情熱や村山医師の思いが何だか伝わってくるような気がしました。見学料は100円。僅かですが駐車スペースが用意されています。
下田は我が国最初の開港場として、安政6(1859)年までの約六年間、期間限定で多大な注目を浴びた土地であったわけで、今日も当時の様子を十分に忍ぶことができ、大変興味深かったです。その後に開かれた神奈川(横浜)が、現在もなお、国際都市として派手に発展し続けているのとは対照的。さてさて、今回訪れた下田の街が「下田・龍馬伝」なんて言って観光客を誘致しているように、日本の各地で「龍馬」「龍馬」と騒いでいるんでしょうね。私の親戚や知人も、GWを利用して高知旅行や長崎旅行をしていました。大河ドラマが観光業に及ぼすパワーは侮れません。近頃の大河って、歴史モノとしてどうなのよと、愚痴らずにいられないような浅い作品が続いているように思われるのですが、やはり腐っても大河なんですよね。日が少し傾いてきたところで、今回の歴史探訪の旅を終了。帰りの高速道路では昨日以上に激しい渋滞に巻き込まれ、自宅に辿りついたのは日付が替わる頃でした。
「伊豆下田観光ガイド」HP http://www.shimoda-city.info/