大抵の人間は、周りの環境に大きく影響を受けながら物事を考え、日常を生きてしまいます。戦争色の濃い時代に生きた人々と、平和にどっぷりつかっている私たちとでは、同じ日本人でありながら、様々な点において感覚があまりにも違うもの。この感覚の差は、戦後生まれの人間が戦争を理解しようとするときの妨げとなることもあるのでは。
竹内浩三が語る言葉だから
竹内浩三は純粋で自分に正直な若者でした。音楽・文学・映画といった芸術の世界を愛し、映画監督になる夢を持っていました。女性に惚れやすく、恋する心を詩に詠み、何度もフラれては、悲しみを詩に詠む。人に非難されるような贅沢や悪いことは決してしないが、煙草と、たまの少しリッチな食事とお酒は楽しむ。金がなくなれば、比較的裕福な実家への甘え心が顔を出し、姉への手紙の中でさり気なく無心する。浩三の若者らしい学生生活が目に浮かびます。
現代においても、良いものは良いと自由に感動し、自分も勉強して何かを成し遂げたいと都会に出る若者は後を絶ちません。都会で出会った女の子との恋愛の顛末も、自分を磨く肥やしとなる。親からの仕送りと僅かなバイト代を大切に、多少切り詰めた生活をしているが、たまに飲むときは飲むし、食べるときは食べる。悪いなぁとは思いつつ、いざとなれば実家に追加の仕送りを頼んでしまうこともある。浩三は、現代に生きる戦後生まれの若者の姿と何も変わりません。
あらゆる欲を殺すことを強いられ、自己までも破壊されかけた戦中においても、良くも悪くも自分を失うことがなかった浩三。浩三の言葉は、思考を抑圧されることの少ない現代の若者が約60年前にタイムスリップして語ったかのようです。純粋で自分に正直な浩三の言葉だから、戦争というものを現代の私たちもより深く理解できます。
その無念を想う
もし戦争から帰還できたなら、浩三はどんな映画を撮ったのでしょうか。何かで自分を表現することをしなかったその他多くの若者たちは、胸の中で何を夢見ていたのでしょうか。死を免れた若者たちは、戦場で倒れた友をおいて、どんな気持ちで日本へ戻ったのでしょうか。戦後そのまもなく迎えた高度経済成長。我武者羅に働いた人々にはどんな思いがあったのでしょうか。
浩三の残した詩や文章によって、当時をよりリアルに感じることができました。浩三と、浩三の手紙や日記を大切に保管し、世に公開してくれた浩三の姉・こうさん、そして番組制作者に感謝せずにはいられません。
23歳という若さで夢半ばのまま死なねばならなかった浩三の無念さを思うと涙がとまりませんが、それでも浩三の残した功績は十分に大きいものだったと・・・。